曳山十六基

日野町には現在16基の曳山があります。江戸時代につくられてから、約150~200年が経っていますが、美しく飾り付けられた曳山は、日野祭に華を添えています。
馬見岡綿向神社への宮入の後、屋上には「ダシ」と呼ばれる人形が飾られます。

仁正寺曳山

1.仁正寺(にしょうじ)
西大路曳山(にしおおじひきやま)
初代建造不明。(現在三代目)


仁正寺【にしょうじ】藩主「市橋長富」【いちは し ながとみ】公の寄進により尾張の職人が 文政8年(1825)に着手、8年の歳月を費やし 天保4年(1833)に日野最大の豪華な曳山を 再建しました。

本町曳山

2.鳳仙社(ほうせんしゃ)
本町曳山(ほんまちひきやま)
明和7年(1770)大修理


平成12年(2000)に復元新調した見送り幕、 紫地鳳凰樹下仙山水図【むらさきじほうおう じゅかせんさんすいず】が見もので、社名の由 来ともなっています。曳山本体の四本柱雁金 文透金具【しほんばしらかりがねもんすかし かなぐ】と側面の鶴松図と亀図も見事です。

新町曳山

3.八景閣(はっけいかく)
新町曳山(しんちょうひきやま)
文化4年(1807)頃建造


錺金具【かざりかなぐ】や正面脇間【わきま】 の彫刻、上場【うわば】欄間【らんま】の近江 八景の彩色彫刻など装飾が豊富で、向拝【こ うはい】付きの豪華な曳山です。

上鍛冶町曳山

4.萬延社(まんえんしゃ)
上鍛冶町曳山(うえかじちょうひきやま)
万延元年(1860)建造。


建造されて約70年は素木【しらき】の曳山で したが、昭和4年(1929)に昭和天皇の即位 御大典の記念事業として総漆塗り金箔置き 金物付の曳山にされました。

清水町曳山

5.六徳(りくとく)
清水町曳山(しみずちょうひきやま)
文政8年(1825)建造


諏訪の彫刻大工「立川和四郎」【たてかわわしろう】が彫った二十四孝【にじゅうしこう】の素木【しらき】彫刻と京都の画家「満黄」【まんこう】による波の絵模様は見事です。また曳山の金箔と漆塗りに関しては当町に在住した塗師職人の技術の総力が傾注されています。

越川町曳山

6.翔鶴(しょうかく)
越川町曳山(えちがわちょうひきやま)
文化3年(1806)建造


四本柱の菊文透金具【きくもんすかしかなぐ】 が見ものです。横幕の下絵は、四条派の画家 「塩川文麟」【しおかわ ぶんりん】が描いた ものです。

杉野神町曳山

7.歓心(かんしん)
杉野神町曳山(すぎのがみちょうひきやま)
寛政3年(1791)頃建造


日野曳山の中で、最古の部類に属し、典型的 な重箱山【じゅうばこやま】です。曳山側面の 雅楽楽器模様金具は異色。見送り幕は、雲向 龍文様金銀繍羅紗【くもむかいりゅうもんよう きんぎんしゅうらしゃ】(中国製)です。

金英町曳山

8.芳菊車(ほうぎくしゃ)
金英町曳山(きんえいちょうひきやま)


見送り幕は、大和絵から南画【なんが】に進んだ「富岡鉄斎」【とみおか てっさい】の下絵 によるもの。外柱【そとばしら】の四神【ししん】の巻金具、下場【したば】の波に龍の彫刻が見事です。

双六町曳山

9.壽雙車(じゅそうしゃ)
双六町曳山(すごろくちょうひきやま)

寛政5年(1793)頃建造 安政6年(1859)大修理


上場【うわば】欄間【らんま】には明治10年(1877)に、今在家村【いまざいけむら】の「忠兵衛」【ちゅうべい】作による樹花鳥獣【じゅかちょうじゅう】の素木【しらき】彫刻が付けられています。

上大窪町曳山

10.瓊象社(けいしょうしゃ)
上大窪町曳山(かみおおくぼちょうひきやま)

文久3年(1863)建造


かつては日野祭の曳山巡行順を籤【くじ】で 決めていました。上大窪町の曳山は大窪の曳 山の中で、籤【くじ】取らずの二番で巡行して いました。典型的な日野の曳山ひとつで、天場 【てんば】下の和様組物は異色です。

蘭香閣

11.蘭香閣(らんこうかく)
河原田町曳山(かわはらだちょうひきやま)

創建宝暦年間(1751~1763)以前 再建元治元年(1864)


正面向拝【こうはい】と天場【てんば】下に垂木【たるき】を付け、舟木【ふなき】に龍と波の彫物を付ける。平成6年(1994)復元新調の見送り幕の『三國志』は、劉備から届いた書簡を関羽と張飛が拝読中の図が刺繍【ししゅう】されています。“商”の神として人気のあった『三國志』で、町衆の「商の道」への心意気が偲【しの】ばれます。

大窪町曳山

12.龍虎車(りゅうこしゃ)
大窪町曳山(おおくぼちょうひきやま)

文久【ぶんきゅう】元年(1861)建造


日野曳山唯一の素木【しらき】の曳山で二番 目に大型です。見送り幕、横幕の下絵は岸派 【きしは】の岸 岱【がんたい】・岸 慶【がんけ い】親子の共同作です。

仕出町曳山

13.観舞車(かんぶしゃ)
仕出町曳山(しでちょうひきやま)

創建宝暦年間(1751~1763)以前 嘉永5年(1852)修理


日野商人の山中家が財力をもって贅【ぜい】を尽くし建造した最も美しい曳山です。錺金具【かざりかなぐ】・彫刻・車輪の仕組みなど造りや細工に特に優れ、幕の織【おり】や刺繍【ししゅう】が見事です。

南壮社

14.南壮社(なんそうしゃ)
南大窪町曳山(みなみおおくぼちょうひきやま)

天明5年(1785)以前の建造


曳山下場【したば】組物間、正面階段下の彫刻は仙人や唐獅子牡丹【からじしぼたん】などを主題とした「立川和四郎」【たてかわ わしろう】の文政12年(1829)の作品です。

今井町曳山

15.舞鶴社(まいづるしゃ)
今井町曳山(いまいちょうひきやま)

文久元年(1861)建造 明治33年(1900)大修理


階段付重箱型曳山【かいだんつきじゅばこがたひきやま】の典型で、慶応元年(1865)に今在家村【いまざいけむら】の「忠兵衛」【ちゅうべい】作にて豊富な彫刻が追加されました。龍虎文様横幕【りゅうこもんようよこまく】も特徴的で全体にバランスの良い曳山です。

岡本町曳山

16.法天地 (ほうてんち)
岡本町曳山(おかもとちょうひきやま)

天明年間(1781~1788)頃建造


日野の曳山の中で唯 一、二階屋根がありま す。文政13年(1830)下場【したば】に諏訪の「立川和四郎」【たてかわ わしろう】による十二支を配した木彫などが付けられました。